松原みきさんの旦那さんはドラマー!?音楽は母親の影響!?

歌手の松原みきさんが1979年11月にリリースした

デビューシングル「真夜中のドア」が、

今世界の47カ国でTOP10入り話題となっていますね!

 

70年代から80年代にはやった「シティポップ」

とうジャンルが世界で流行っているようです。

 

それで今回は、そんな松原みきさんの旦那や母親と

2020年世界47ヵ国でTOP10入りの快挙の理由について

まとめてみたいと思います。

 

プロフィール

名前      松原みき

生年月日    1959年11月28日(享年44歳)

出身地     大阪府堺市平岡町

血液型     0型

ジャンル     ニューミュージック

職業       歌手、作詞家、作曲家

松原みきさんの母親の影響

 

母親はクレージーキャッツと一緒に歌った事もある
ジャズシンガーでその影響で松原みきさんも
3歳からピアノを習い始めジャズに親しんだそうです。

 

松原みきさんは1972年に堺市立平岡小学校から
プール学院中学校に入学しました。

 

この頃よりロックに興味を持ち
ロックバンド「愚麗」に加入し演奏活動を始めます。

 

1975年プール学院高校に進学されました。

 

「吉野家バンド」のキーボーディスト
として京都のライヴハウス磔磔で活動しています。

 

1977年高3の時に歌手デビューのため単身東京へ行き
文化女子大学附属杉並高等学校に転校します。

 

米軍キャンプなど各地で演奏し
六本木のジャズスポット「バードランド」に飛び入り
したところ、世良譲に絶賛されました。

 

1970年代から歌手活動をスタートしました。

ニューミュージックでもなくアイドル歌手でもない
独自路線を進んだ歌手でもあり、

個人的には松原みきさんの歌声は程よく強く透明感があり
とても魅力的で今でもその時の印象が
深かったのを覚えています。

 

松原みきさんの死因

歌手の松原みきさんは残念ながら44歳位の
若さで他界されています。

 

松原みきさんの死因は子宮頚ガンという事でした。

 

闘病生活は3年にも及んでしまい
その間は当然のことなが音楽活動は休止となり
病と戦っていました。

 

しかし、残念ながら病魔には勝てずに
44歳でこの世を去りました。

 

既に末期ガンのレベルまで行ってましたが
良性の腫瘍に変化した時もあり、

直る可能性も少しはあったのかもしれませんが、
残念でなりませんでしたね。

旦那は本城真樹さん

松原みきさんの旦那の名前は本城真樹さんと言います。

1953年生まれです。

 

1975年に慶応大学経済学部から、
東京医科歯科大学に入学し直し、

1984年に卒業されて、1986年には歯科医院を開設しました。

 

慶応大学在学中からジャズ・ドラマーとして活動し、

卒業後は米軍の横田基地で黒人ミュージシャンとともに

「ブッダ」というバンドを組み、ライブ活動しましたが、

残念ながらレコードデビュー直前で
病気のため解散しました。

 

東京医科歯科大学入学後、ブレッドアンドバター、
弘田三枝子、松原みきなどのバックバンドでドラムを叩き、

その時の出会いから二人は結婚されたようですね。

 

松原みきさんの旦那の本城真樹さんですが、
2017年死去されました。

 

死因については、わかっていません。

本城真樹さんの画像

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シティーポップが世界で流行った理由

 

なぜシティーポップが世界で評価されたのでしょう?

こうしたシティポップ作品が「再発見」され
脚光を浴びはじめたのは90年代の初頭と言われています。

きっかけは日本のDJカルチャーでした。

レア・グルーヴと呼ばれるムーブメントの中で 、
いくつかのシティポップ作品が
かっこいいダンスミュージックとして再評価されました。

これは当時の渋谷系と呼ばれるムーブメントとも
少なからず関連がありました。

さらに、2000年代に入ってからも、
一部の音楽愛好家たちが “和製AOR” という枠組みで
再評価されました。

 

ガイド本なども出版されようになるなかで
「 “和モノ”レコード」がさまざまな角度から検証され、
人気作品は中古レコードの価格も高騰しました。

外国人による評価

その一方で、海外の “ニッチな” 音楽マニアたちも
日本のシティポップに注目します。

その背景には、ヴェイパーウェイヴ
フューチャー・ファンク

といった新たな音楽ジャンルの流行も
関係しているようです。

ヴェイパーウェイヴとは、

2010年代にインターネットのコミュニティを拠点に
広まったジャンルで、おもに80年代の楽曲を
サンプリング(引用・流用)して制作。

その楽曲にはノスタルジックな心地よさもありながら、
資本主義や大量消費社会に対する皮肉
込められているようです。

そうした楽曲に、80年代の日本のポップスや
フュージョン作品
などが数多くサンプリング(引用)され、

これをきっかけにサンプリングの「元ネタ」を
捜索しはじめた人々が

往年の日本のポップスにたどり着く→
原曲の素晴らしさに気づく→
さらに同じ系統の日本のポップスを探し始める。

 

という経緯で盛り上がっていったようです。

 

【関連記事】
シティポップの海外人気を検証!
海外のキーマンたちが語ったシティポップブームの現在

海外バンドも登場

ここまで、「シティポップは過去の音楽を再定義したもの」と説明しましたが、 近年では、この(70〜80年代に作られた)シティポップの雰囲気を再現した新曲も作られ、同様の作風を掲げた海外バンドまで登場しています。

まとめ

いかがでしょうか?

伝わるところによると「世界一の歌手になる」と上京した松原みきさんです。

天国でこんにちの流行を喜んでいるとおもいます。 

 

     

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